「感染者の少なさや厳しい取り組みを伝えても、東京に信じてもらえない」。ベトナムの新型コロナウイルス対策について議論していた時、ある日本人駐在員が嘆いた。日本とは違う社会主義国のやり方は参考にならないと思われているのかもしれない。私も当初は政府の発表する感染者数が少なすぎると疑っていたし、徹底した隔離もやり過ぎではないかと感じていた。新型コロナの感染拡大が始まって約3カ月。今は「主義」の違いを超えて、日本が学べることは何かを考えている。
感染者数は本当?
ベトナム政府は23日、「社会隔離」と名付けて1日から続けていた外出制限を緩和した。首都ハノイや南部ホーチミンではレストランや露店が営業を再開し始めた。タクシーも車両の台数に制限はあるが営業を許可された。新たな感染者は16日から23日まで出ず、約9600万人の人口に対して、同日時点の感染者数は累計268人。このうち約8割の220人がすでに回復した。死者はいない。24日になって新たに感染が確認された2人は、特別便で2日前に日本から帰国したベトナム人だった。
少ない感染者数をどう見るべきか。当初の意見はベトナム国内でも分かれていた。初めて感染が確認されたのは1月23日。感染が広がった中国・武漢出身の親子だった。感染者はその後、2月13日までに計16人に増加。同14日時点でのクルーズ船を除く日本の感染者数は41人で、日越両国に大きな差はなかった。中国と約1400キロの国境を接していることを考えると、ベトナムの方が感染者が少な過ぎると感じた。
ベトナムの政治に詳しい日本人にその印象を伝えると、「国民に危機感を持たせるためにも数字は隠していないはずだ」という答えが返ってきた。一方で、親しいベトナム人からは逆に「ベトナム人は誰も政府の発表する数字を信用していない」と言われた。
この時点での私には、ベトナム人の意見の方が妥当だと思えた。感染者数に比べて、政府の進める対策があまりにも厳しく、実際の感染者数はもっと多いのではないかと疑いを持ったからだ。
ベトナム政府は2月1日に中国との旅客航空便の運航を停止。同5日には過去2週間以内に中国に滞在歴のある外国人の入国拒否を始めた。日本が中国からの入国の大幅な制限を決めたのは3月5日で、ベトナムの方が約1カ月早い。
さらに旧正月の休暇を終えて再開するはずだった学校も、早々に休校が決まっていた。再開は繰り返し延期になり、結局、ほとんどの学校は1月下旬から休校したままになっている。私の息子(9)も1月の赴任に合わせて転入した新しい学校に、旧正月前の4日しか通えていない。
2月13日には6人の感染者が出たハノイ近郊の村全体が隔離された。
ここから続き
日が経つにつれて、私の考えは変わっていった。欧州や米国で感染者が爆発的に増加し、一部の国で最近始まった抗体検査により公表されている数の何十倍もの感染者がいるという推計も出た。日本ではいまだに検査態勢の拡充を求める声がやまず、感染の広がりを把握し切れていないという指摘が根強い。
ベトナムでも把握できていない感染者の存在は否定できない。しかし、国の政治制度にかかわらず、感染者の把握は世界中の国々にとって共通の課題であることが明確になっている。そう考えると、国民の危機意識に強く訴えるためにも把握した数字を隠さずに出す方が自然だと思える。
ハノイ市内の民間診療所に勤務する医師の千葉大さん(46)は「医療現場で肺炎患者が相次いでいる状況は起きていない。日本人の感覚では、どうしてそこまでするのかと思えるような2月の早い段階から手を打ってきた積み重ねが効いているのではないか」とみる。
症状なくても強制隔離
2月13日の16人目を最後に3週間止まっていた感染者数は、3月6日に欧州からの帰国者の感染が判明した後、再び増え始めた。ベトナム政府は同21日からすべての入国者を隔離の対象にし、22日には外国人の入国を事実上禁止にしている。4月1日からはハノイや南部ホーチミンなど大都市を中心に3週間にわたって外出制限を実施した。
欧州経由での感染が拡大し始めた段階で、感染者やその接触者、海外からの入国者を病院や自宅、軍の施設などに隔離する措置を徹底するようになった。
日本から見れば、症状のない人まで強制的に隔離する方法は一党支配の社会主義国ならではの「力業」かもしれない。ベトナムで暮らす外国人の一人の生活者としては、国が「有事」と判断すればすぐにそこまでできる体制に不安も感じる。
しかし、民主主義国家の英国やフランス、米国でも罰金を伴う外出の制限や行動の制約が3月半ばから広がってきた現実をみると、このウイルスの前では「主義」の違いはもはや問題にならないとも思う。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためには、一定期間、人と人との接触を断つことが最も有効なのは認めるしかない。
世界保健機関(WHO)によると、2016年時点での人口1万人当たりの医師の数は日本の24.1人に対して、ベトナムは3分の1の8.3人。医療体制が十分でない危機意識はベトナム人に共通している。
少なくともベトナムのやり方は、「社会主義」というイデオロギーを基準に決められたものというより、医療や経済的な資源が限られるなかで感染を封じ込めるために最も効果的な方法が何かを基準に決められたのだろうと今は考えている。
SARSは最初に「制圧」
2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した時も、ベトナムは同じようなやり方を取っている。当時は民間病院での集団感染をきっかけに、5人が死亡、63人が感染した。ベトナムは感染者と接触者を徹底的に追跡し、隔離することで世界で最初にSARSの「制圧」を宣言した。
ベトナム政府は4~6月に毎月180万ドン(約8200円)を失業者に給付することを含めた総額62兆ドン(約2800億円)の経済対策を決めたが、外出制限で生じたすべての人の損失や苦境を助けられる額ではない。日本のようにきめ細かい行政サービスができあがっているわけではなく、「本当にどれだけの人が受け取れるか分からない」と話すベトナム人の知人もいる。国を頼ろうとしない姿勢は、たくましさと同時に、頼りたくても頼れない厳しい状況を思い起こさせる。
1万人を超えるまでに感染者が増えた日本で、ベトナムと同じくらいに感染者が減るまでには長い期間がかかる。その間、飲食店の休業や外出の自粛を要請し続けるとすれば、多くの人の生活はそれだけ厳しくなる。収束のめどが見えてきた段階で基準をつくって経済活動を再開させることになるのだろうが、それがいつになるか見通すことも難しい。
一つの国だけでこの危機を終わらせることはできない。ベトナムも今は感染者数が少ないが、世界全体で収束しない限り、国境をまたいだ人の往来は戻らず、様々な国の人たちが行き交っていた元の姿は取り戻せない。時間がかかればかかるほど、しわ寄せは弱い立場の人たちに向かうだろう。いつかやって来る「コロナ後」まで生き抜いていけるように、日本政府もベトナム政府も助けを必要としている人たちに手を差し伸べてほしい。(ハノイ=宋光祐)
◇
新型コロナウイルスの脅威に、いま世界が直面しています。感染の状況や向き合い方が異なる各国の様子は、日本に住む私たちにとっても、危機を乗り越えるためのヒントとなるはずです。各地で暮らす特派員が、自らの体験を通して世界の現状を伝えます。
原文出處 朝日新聞