多様性を受け入れて尊重しよう、そうすればもっと豊かで、創造力と活気に満ちた社会を作ることができる―。もう何年も前から、我々はこうした「多様性礼賛」の台詞を耳にタコができるほど聞かされてきた。岸田文雄前首相も「新しい資本主義を支える基盤となるのが多様性のある社会だ」、と言っていた。岸田氏が辞任して新たに石破政権が誕生し、「新しい資本主義」は何だかわからないまま過去のものになりつつあるが、「多様性」の方は今も健在である。
一般的に多様性というのは、さまざまな種類や傾向があることの意であるが、このところすっかり日本社会共通のスローガンとして定着した感のある「多様性」というのは、人種や国籍、性別、年齢、宗教、性的指向、価値観などの違いを認め、尊重し、受け入れ、共存しようという趣旨らしい。
「一人ひとりの違いを認め、尊重し、受け入れ、共存しよう」と言われれば、多くの人は首肯するだろうが、これが「あらゆる価値観を認め、尊重し、受け入れ、共存しよう」となってくると、急に雲行きが怪しくなる。社会が、攻撃的だったり、排他的、暴力的、破滅的だったりする価値観も多様性の一環として認め、尊重し、受け入れてしまえば、共存どころかその社会の存在は危うくなる。あるいは、多様性社会は「多様性を認めない」という価値観も多様性の一環として認めなければならないのだから、自己矛盾を抱え込むことになる、という本質的問いも避けては通れないはずだ。
しかし多様性礼賛者は、そんな矛盾になど目もくれない。論理的に考えて、「あらゆる価値観を認めれば社会は豊かに、活気あるものになる」などという主張自体に無理があることは小学生にだってわかる、そんなはずがなかろうなどと言おうものならば、一斉に白い目で見られる。
国も自治体も多様性、政府も省庁も多様性、企業も学校も多様性、あなたも私も多様性、そこのけそこのけ多様性、なんでもかんでも多様性。ああ多様性、多様性。多様性という概念が本質的に孕む問題について議論してこそ、日本社会は豊かに活力のあるものになるのではないかと私は考えるのだが、議論することすら許されない空気に何とも言えない閉塞感を覚える。いまの日本社会は、目指しているはずの多様性社会とは正反対の、「ひとつの意見」しか受け入れられない全体主義に傾倒しつつある。
アサドを倒した指導者も…
なぜ日本の「多様性社会」は、私の意見を多様性の一環として認めてくれないのだろうかと自嘲気味に自問する中、日本だけでなく全世界を驚愕させる「多様性の使い手」が現れた。中東の国シリアで、親子二代53年間にわたり独裁体制を築いてきたアサド政権を崩壊させたイスラム過激派テロ組織「シャーム解放機構(HTS)」の指導者ジャウラニだ。
HTSは国連やアメリカ、トルコなどの政府によってテロ組織指定されており、米政府はその指導者であるジャウラニに1000万ドル(約15億円)の懸賞金をかけている。2024年11月末、シリア第二の都市アレッポに向かって突如進軍を開始し、わずか数日でアレッポ陥落を成し遂げたジャウラニは次のような布告を出した。
「アレッポはこれまで常に、文化的・宗教的多様性の長い歴史を持つ、文明と文化の出会いの場であった。(略)多様性は我々の弱さではなく強さである。」
これには腰を抜かすほど驚いた。「多様性こそ強さ」というのは、日本だけでなく自由主義諸国のあちこちで掲げられているスローガンそのものだからだ。
HTSの前身は、2001年アメリカ同時多発テロ(9・11事件)の実行犯であるイスラム過激派テロ組織アルカイダのシリア支部「ヌスラ戦線」である。アルカイダもヌスラも、武力行使によって敵を打倒し、世界にイスラム帝国を樹立することを目指すジハード主義の実践で知られる。
2013年、ヌスラの指導者として中東カタールのニュースチャンネル「アルジャジーラ」の独占インタビューを受けたジャウラニは、シリアをイスラム法(シャリーア)によって統治することが目標だと述べ、そこには同国のアラウィ派、シーア派、ドルーズ派、キリスト教徒といった少数派が入り込む余地はないと明言した。ヌスラはイスラム教スンナ派のテロ組織であり、スンナ派以外のイスラム教も「不信仰」だと断罪した。
ヌスラは拠点としてきたイドリブで少数派の人々から家や財産を没収したり、イスラム教への改宗を強制したり、キリスト教の司祭を拉致するなどして、少数派を迫害してきた。
ところがジャウラニは2016年、アルカイダからの離脱を宣言し、組織名もヌスラからJFS、さらにHTSへと改めると、今度は一転してこれまで迫害してきた少数派の指導者と対話したり、没収した家を返還したりするなど、少数派との和解推進に動いた。自分たちはアルカイダや「イスラム国」のような過激派とは違うのだと主張し始めたジャウラニは、これまでのもっぱら「イスラム過激派テロリスト」然とした迷彩柄の戦闘服とターバンに替えて、西洋風のシャツとブレザーを着た姿も見せた。
イドリブを中心に約400万人の住民を統治する体制を構築したジャウラニは、2022年にはインフラを整備し、農業その他の産業を育成し、シリア経済を世界経済と
ジャウラニは「救済政府」なるものを樹立し、シリアを統治するのは武装組織ではなくあくまでもその「救済政府」なのだと主張している。アレッポ陥落後、救済政府はアサド政権との戦いを「シリア革命」と呼び、それは「シリア社会のすべての少数派とすべての階層を守ろうとしている」と「包摂性」を強調した。CNNのインタビューでジャウラニは「人は誰でも変わります」とにこやかに、穏やかに自らの変節を肯定した。
多様性と言っておけば
「持続可能な社会」「多様性」「包摂性」。日本政府も、省庁も、自治体も、経済界も、メディアも、インフルエンサーも大好きな「三種の神器」を、かつて自爆テロや少数派の迫害で知られたイスラム過激派テロ組織が今、スローガンとして打ち出しているのは、感慨深いものがある。持続可能だの多様性だの包摂性だのと主張しておけば、国際社会によい印象を与え、過去の残虐非道なイメージを払拭できると、彼らは知っているのだ。
しかし彼らが本当に、「多様性と包摂性を尊重する持続可能なシリア」を築くのかどうかは、まだわからない。2021年以来、アフガニスタンを実効支配しているイスラム過激派テロ組織タリバンも、首都カーブルを陥落させた当初は、自分たちは女性の権利を擁護し、少数者も保護すると世界に向けて「穏健派アピール」をしていた。しかしその後タリバンは、女子が中学、高校、大学に行くことを禁じ、外出や社会で働くことも厳しく制限するなど、女性の権利を奪い、同性愛者を見つけ出して拘束するなど少数者への迫害も苛烈さを極めている。
2024年12月8日、シリアの首都ダマスカスが陥落してから数時間後、ジャウラニはダマスカスを象徴するウマイヤド・モスクに初めて姿を現し、アサド大統領の失脚は「イスラム国家の勝利」だと宣言した。
イスラム法によって統治されるイスラム国家において、少数派はイスラム支配に服従し人頭税を納めれば生存権が認められるものの、政治参加は認められないという「二級市民」として蔑まれるのが教義であり、歴史的にもそうであった。多様性と包摂性を重んじるイスラム国家なるものが実現されれば、史上初である。
多様性を尊重し、大量の移民、難民を受け入れた欧州諸国では、「もはや自国にいると実感できない」ほど国の景色が一変した。日本は欧州に遅れて多様性の尊重を掲げ、今後5年で82万人の外国人労働者受け入れを決定し、欧州の歩んだ亡国の道を欧州を上回るスピードで突き進んでいる。シリアではイスラム過激派が多様性の尊重をスローガンに掲げ、国家建設に着手した。
今後一層、「多様性」の多様化が進み、多様性をプロパガンダとしてうまく利用する「多様性の使い手」こそが覇者となるのかもしれない。大多様性時代の幕開けだ。(イスラム思想研究者)
(月刊「正論」2月号より)
いいやま・あかり 昭和五十一年生まれ。東京大大学院単位取得退学。博士(文学)。
原文出處 產經新聞